年始に地元の友達と3人で会った時、この本の話になりました。
1人の友達が、私が時間について話すのを聞いて、今読んでいるというこの本を思い出したと言ったのです。
「時間泥棒」の話とのこと。
その時話していたのは、私が時間について大変うるさく、
例えば誰かと飲みに行く約束があったとすると、それに向けての身支度や移動、の時間も含めるとその約束を果たすのに5時間くらい使うことになります。3時間あれば1冊本が読めることを考えると、本を読むのに時間を使った方が自分のためになる、という話でした。
人の心があるのか?と、自分でも言いたくなるような話ですが、これが「時間泥棒」の話と共通するのだということで、
Kindle Unlimitedの対象だったので読んでみることにしました。
読み進めると、友達に言われたことがよくわかりました。
私はここまで緻密に計算していませんが、1日、1年が何秒であるか、そのうち毎日食事や睡眠、仕事に使っている時間が何秒か、あと何年生きるのか、と言った計算を細かく行うシーンがあります。
愛する女性に花をプレゼントする時間が浪費とされているのはちょっと行きすぎかと思いますが、インパクトがあります。
「時間を倹約する」というのはちょっと考えものかと思うのです。
30歳の私が2時間あってできることと、50際になった私が2時間あってできることは異なります。
自分の体力や知識、考え方、置かれた環境が20年も経てば変わるからです。
時間を貯蓄するという考え方は単なる例えだと思いますが、今の1万円と20年後の1万円以上に価値の違いができると思います。
なので時間については将来に向けての貯蓄ではなく、今の自分にしかできない使い方を探ることが重要なのではないでしょうか。
と思ったところで、
「時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていく」
という記載がありました。
結局、時間をケチケチ使っていると、生活の中からどんどん無駄が排除され、心地よさとか、思いやりのようなものがなくなっていくのだといいます。
確かにそうだなと思います。
私は時間についてものすごくケチケチしていますが、こんなにケチケチして、何を目指しているのだろう、と最近よく思います。
今朝も早く起きてカフェで今後について考えよう、と思い、7時に起きることにしてそこから夕方までのスケジュールを前日のうちに立てていました。
やりたいことや身につけたいことは常にあるのに、できないのは時間の使い方がうまくないからだ、という考えがしみついてしまっているのだと思います。
どれだけ時間があるかではなく、私がどれだけ本気になっているか、の問題でした。
昔、明日までに1億円用意しないと身内が死ぬと言われたら必死になるでしょ?と、言われたことがあります。
極端な話ですが、本気になるって、そういうことなのかもしれません。
仕事が完全テレワークで、人と過ごす時間が減りました。
友達がどんどん結婚、出産していって、気軽に会うのが難しくなりました。
寂しさもあり、完璧主義な部分もあって
自分のためだけに時間を使う理想の生活を追い求めていたら
体力が追いつかず、体調を崩してしまいました。
無理は良くない。
やりたいことをやるのに1日1回、というような目標は結構きついです。
書評ブログも、昨年は1日1冊1記事と決めて半年間継続しましたが、他にもやりたいことがたくさんあり、重なったタイミングで体調を崩していました。
体調の危険信号は出やすい方なのですが、かつてないほど体調不良で会社を休んでしまっています。。
人に迷惑をかけない範囲で好きなことをやっていけたらと思うので、今後は毎日できなくても、1週間に1回でも、1ヶ月に1回でも、やること、やり続けることに意味があるのだと思って取り組んでいけたらと思います。
ゴールに向かって先の長い道を認識すると、絶望に近い感覚を覚えます。
そのため、主人公モモの親友のおじいさんは、
一度に遠いゴールのことを考えるのではなく、常に、次の一歩のことだけを考えるのだといいます。
そうすると楽しくなってくるのだと。
さらには、楽しいと思っているうちに、いつの間にか、ゴールにたどり着いていると。
日常生活で階段を登る時、私が意識していることです笑
階段を全部上り切ることを意識するととても辛くなるのですが、次の一段を登ることを目標にしていくと、なんだかゲームをクリアしていくような感覚になり、楽しささえ覚えます。