価値観は相対的なもので、絶対的な価値基準など存在しない
最近、オケで難曲に取り組んでいるのですが、思ったよりプレッシャーを感じています。
トップで弾くわけでもないのに、練習までに完璧にさらっていかなきゃと思い、追い詰められている感じがあります。
練習の時に弾けない自分が嫌で、ついていけないのが怖くて、弾けるようにしていきたいので他人と比べているわけではないのですが、結局誰かと比べてしまっている、と言うことなのでしょうか。
読んでいてわからなかったけど、きっとそんなんでしょうね。
そして、比べる必要はないよ、と言われているのだと思います。
知らなかったのですが、老子って優しいんですね。
努力しているだけでえらいというのは、人に対しては思えるけど、自分に対しては思えていなかったなと気付かされました。
結局、弾けてないということは努力が足りないということで、
やればできることをやっていないからできていないだけである、と思っている自分がいます。
努力してる人ってそれだけで素敵だな、と思っているのに、
自分への評価は結果次第。
これは相対的な基準とは言えないと思うのでちょっと混乱していますが、
要は努力していることそれ自体に価値があるということですね。
努力が足りない、とか、努力の仕方がずれている、とかはその後に、それぞれの物差しで測っているだけですね。
善人な面往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
私も聞いたことがありますが、善人でも往生して幸せになれるのだから、悪人は尚更幸せになれる、と言う意味だそうです。
え??となりますが、ここでのそれぞれの言葉の定義は
善人…自分が正しいと思い込んでいる人
悪人…自分が間違っていると知り、他人を傷つけている自覚がある人
だそうです。
悪気の有無ではないのですが、何が正しく、正しくないのかはそれぞれの価値観で判断している、ということなのですね。
老子はそれを明確にすることをしない、というスタンスです。
「ジャッジしない」とはそういうことですね。