常識の変革
寿司屋の修行は、情報が閉ざされていた時代に必要だったものであり、何かをするのにこの手順を踏まなければならないという常識は、情報が簡単に手に入るまでは常識ではなくなりつつあるとのこと。
たしかに、新しいことに目を向けていれば変化は当たり前という感覚になっていきそうなものだけど、
中途半端にこのケースはこう、というような知識があるとその人の伝え方(圧とか)によってはその論が通ってしまうことがあります。
前にいた会社でもそんなことがありました。
知らないだろお前、常識を。みたいな態度で接されると、なんだか自分が間違っていたような気がしてくるものだけど、必ずしもそうではなくて。
でも、聞く耳持たないんだろうな、と思うと反論しようという気力も奪われて。
一緒に何かを作っていく、という感覚が全くない状態でした。
持っているから生かそうとするとスピードが遅くなる
最近、引越しにあたって棚という棚を捨てました。
テレビ台も捨てました。
テレビは出窓に、レコーダーは床に置いてます。
さて、テレビをどうしようかと考えていました。
3年前に10万円で購入した、42インチのものです。
結構気に入っています。
家で過ごす時間が長くなり、用途としては朝スッキリを観ること、YouTubeやAmazon primeを観ること、見るつもりもなかった番組を暇つぶしに観ることです。
家で作業をしたいとき、読書をしたい時に思い切って電源を切るとすごく捗るということに最近気づいていました。
だから、処分するかどうかを迷っていたのですが。それまでは必需品だと思ってましたから。
でも、
「電源を切ると捗る」
これが、判断基準の最も重要なポイントではないかと思い、いとこが引き取ってくれることになりました。
その直後にこの本を読んだので、
ああ、手放す決断をしてよかった
と思いました。
引越しを終えて、テレビのない生活をしていますが、全く困っていません。
Youtubeを見る時間は増えましたが、勉強のためなのでむしろよかったです。