また、新しい「死生観」に出会ったような気がします。
死に近い体験をしたことで新しい自分になった、というとちょっと軽く聞こえるかもしれません。
死に対する恐れから逃げず、感じるままにすることで心理的な詩を通過し、あらたな生命として「再生」するのだと。
通常だと、途中で考えるのをやめてしまいますよね。
肉体的な死と心理的な死は別であり、自殺する人は後者があまりにも怖く、前者を選んでしまうとのことです。後者の存在を知って、体験できたらもしかしたら救われる命もあるのかもしれません。
「私」、「目覚め」などの言葉が繰り返し使われていて、正直正しく理解できている気が全くしません。。
これについては著者も、同じ言葉を使っていながら別のものを指していることがある、と書かれています。
これについては是非いろんな方の書評を読んでみたいと思います。
よろしければ読んでアウトプットしてみてください。
自分自身をありのままに受け入れることはとても難しく、それが難しくなっているのは「周りと同じであること」が正とされる教育にあるのではないでしょうか。
子供の頃からこれを正の条件として刷り込まれている私たちは、人と違う自分に自信を持つことにとても大きな障壁を感じ、もがき苦しみ、自分を救う方法として「他者と違う自分の存在」を認めるようになるのだと思います。
他者と違っていい、違って当たり前、だからこそ自分が存在していることそれ自体が尊いことであるということに気づくのに、人生の4分の1以上は使っているのではないでしょうか。
私もずっと周りの目を気にして、周りよりちょっと勉強ができる、という状態を自分の存在すべきポジションとして認識していたくらいで、それ以外は制服の衣替えの時期だったり、髪型、言動なども周りを気にして制限されていました。
今は営業職だけど髪を赤くしてみたり、対して上手でもないバイオリン演奏を公開してみたり、ライブで演奏させてもらったりと、自分が楽しければいいじゃないかの精神で生きていますが、ほんの数年前にようやくこうなれたくらいのものです。
それまでは結構しんどかったです。
今は、しんどいことが何もありません。
悩みがあったとしても、解決する方法を知っているから。
20代は多くの時間を悩みに使っていたと思います。
今の私よりも過去の私の方が判断に時間がかかったでしょうし。
明日から30代になりますが、これまでの10年よりも成長した自分が送る30代の生活が楽しみで仕方ありません。
20代って言えなくなるのはちょっと寂しいですが・・・。