人生はつらいものである、とする仏教を受け入れられなかったという話は他の記事でも書いたかと思うのですが、続きがあるようです。
それは「そのつらさには理由があって、その理由を解消するための方法・手順が存在する」ということです。
初めて知りました。
また、本書では「反応しない心をつくる」ためにどうするべきか、ということがメインで書かれています。
怒っている時に、自分は今怒っている、と客観視しよう、とのこと。
そこまではできました。
あとは、やはり相手への期待というか、無意識のうちに自分の中で常識として確立している価値観を押し付けて、それに沿ってないと非常識、相手が悪い、反省すべき、というふうに考えてしまっているんでしょうね。
2週間経った今ならここまで考えられます。
これが、瞬時に出てくるようになると、今の私より成長したなあ、ということになるのだと思います。
人生は修行の連続ですね。
先日怒ってしまった相手に、怒ってしまったことについてごめんねのLINEをしました。
気づけば早いもので20代ラスト週間に入っており、相手がどうとかいう問題は置いておいて、自分に落ち度があることをわかったうえで相手がどう出るか待つ、とか、何も言わず疎遠になる、とかいうのは私がなりたい30代ではないし、私が過ごしたかった20代でもないなと思い。
特に反応はないですが、このまま反応がなかったとしても私はなんだかスッキリしてしまいました。
これからもいろんなアクシデントに遭遇したり、困ることがあるかと思うのですが、ああ、これも修行かあ、と思うことができれば、これも乗り越えるための手段があって、乗り越えた先にはこれまでみることができなかった景色が待っている、と前向きに捉えられるような気がします。
一足先に30歳になった友達が、彼氏にふられて泣いていて、いつもは何かに熱中するけどなんだかこれまで味わったことのない感情が湧いてきていて、成長したなあ、とちょうど昨日LINEが入っていました。
つらい出来事であることに変わりはないかもしれませんが、ただつらいだけではなく、自分が次の一歩を踏み出すためのステップとして捉えることができれば、いい思い出というか、学びの機会になるのだと思います。