祈りは、ただ神様に感謝すること
プロテスタントの教会に通う習慣のあった著者がそうおっしゃっていますが、以前別の本でも読みました。
神社に行って、お願い事をするのではなく、感謝するものだと。
祈るというと、お願いごとをする、というような意味に受け取ってしまいそうなものですが、最近は神社にお参りしている人を見ると、ああ、あの人は神様に感謝するために足を運んでるんだなあ、なんて思います。
この本をよんで、神様への感謝の気持ち、祈りについて、文章にするとこうなるのか、と感心しました。
わかりやすいし、納得。
私たちが生きられるのは今だけであり、祈ることで辛い出来事があっても、今この瞬間にそれをありがたいものにできるそうです。
祈りを習慣にする
どうせ辛いことが起きてそれをいいことに転換するために祈るのなら、毎日祈ってしまおう、ということみたいです。
なぜ祈るのかはわからなくていいから、毎日5秒でも10秒でも続けるのだと。
習慣の根っこだなあと思いました。
この本を手に取ったのも「祈り」というより「習慣」に惹かれたからなのですが、私が毎日本を読むと決めたのも、今日は本を読む日か読まない日か、と考えることをやめたかったからかもしれません。
思いと行動を一致させる習慣
学校に行きたくない時は行かない。
仕事を休みたい時は休む。
これでいい、と子供に言える親って、ほとんどいないんだろうなあと思います。
でも、これを言ってあげられていたら自殺しなくてよかった子供たち、社会人、いたんじゃないかなあとよく思います。
昔、母親に、毎晩毎晩勉強しなさいと言われ、早起きして1時間以上かけて学校に行って部活して塾に行ってよく遅くに帰ってきて泣きたいほど眠くて、父親が静かに、「眠たい時は、眠る」と言ってくれたことがあります。
あー、それでいいんだ、と思いました。
(母は許しませんでしたが)
高学歴の父がそういうなら無理して勉強しなくて良くない?と思って、だんだん勉強しなくなりました笑
成績は、落ちていきました。。
でも、それでいいよーと思います。
行きたくないなら行かなくていいし、やりたいならやればいいし、ただ、犯罪とかはやめとこ?くらいで。
妹が大学生になった年、1年だけ一緒に住んでいて、母親に、妹をちゃんと起こすようにと言われたのですが、断りました。
自分で起きれないなら、行かなくていいと。
行きたいなら、起きればいいと。
妹って、起きないんです・・・。起きない妹を起こすために使うエネルギーは私にはありません。
でも、真面目な子なので、学校が始まったらちゃんと自分で起きて行っていました。
やりたいようにやって、やりたいようにやってもらうほかないんですよね、結局。