「禅語」の存在を初めて知りました。
たくさん紹介されています。
時間を主体的に使う
ここでも早起きの大切さが説かれています。
時間に使われるのではなく、時間を使う。
ギリギリに起きて慌てて準備をして忘れ物をするのではなく、ゆとりを持って一日をスタートさせる。
それが贅沢であるとのことです。
知識だけでなく体験がものさしをつくる
「冷暖自知」というのが、カップに入っている水はいくら考えても温かいのか冷たいのかを知ることはできず、飲んだり手を入れてみたりしないとわからないということだそうです。
いい例えだなと思います。
私もとりあえず行動してみるタイプなのでしっくりきます。
もう十分だ、ありがたいと感じる
「少欲知足」という禅語があり、私が仏教むり、合わない、と昔思った一番大きな理由な気がします。
当時の私は、サラリーマン生活から抜け出したくて色々なことに手を出し、色々な人に出会い、いかに稼いで贅沢をするか、と言うことを考えていました。
欲は捨てるのではなく満たせばいいと思っていたので、少しのもので十分と感じるべきと言う考えを受け入れられませんでした。
今の私はどうかというと、かなり給料は減りましたが、同時にかなり拘束時間が減りました。責任も減りました。仕事のプレッシャーも減りました。
今の会社で上のステージを目指すと言うことは今日上司とも社長とも話していて、早ければ来期(11月)には1つ上のステージに上げるという話をいただきました。
今は仕事内容ももっといろいろ任せて欲しいと思えているのでそれに応じた給料をいただきたいと思っていますが、以前ほど多くの収入を求めてはいません。
というのも、収入を得てやりたいことは、無駄に高価なものを手に入れたり、今思えば大してやりたくないことだったりするからです。
今、やりたいことは海外に行く以外のことはできていますし、海外に行くにしても今より格段に多くの収入が必要になるわけではありません。
欲を追い続けるということは感謝の気持ちを失い心が貧しくなることだと思うと、今この穏やかな生活を手に入れられて本当によかったなと思います。